今日は、私の忘れられない思い出をご紹介します。
皆さんが日々の生活を振り返ってみるきっかけになれば…
と思い、共有します。
私が小さかった頃、ある時突然こんなイメージが湧きました。
そこは、無限に続く、まっしろな世界。
そこに、人々がいます。
どうやら、そこは普段私たちが生活をしている場のようですが、
何かがおかしい。
そこは、まっしろな、何もない世界なのです。
まっしろな、何もない世界なのに、
人々は何かがあるように動き回っています。
まっしろな世界で、何も無いのに、
テーブル、いす、家があるように動いていたり、
何も無いのに障害物にぶつかっているようなそぶりを見せたり…
その様子を、私は少し離れたところから、
傍観していました。
その映像を頭の中で見た私はふと、
「私たちが生きている世界も、ほんとうはこんな感じなのかもしれない」
と思いました。
私たちが「ある」と思い込んでいるものが、
本当は全て想像に過ぎない。
私たちが毎日目にしているものは、
実は存在しないのかもしれない。
後から考えると、なぜあんなことを思ったのか不思議ですが、
今でも忘れられない白昼夢(?)の一つです。
私はエスパーでも超能力者でもないので、
自分が見たものを『真実』だとは思っていません。
ただ、そのイメージのおかげで、
世界を見つめなおすきっかけにはなりました。
私たちがかたくなにこだわっているものや、
しがみついているもの。
それらは、実は本当は存在しないのかもしれない。
これが全てだ、と思っているものすら、
実はあるようでないものなのかもしれない。
そういうものに翻弄されすぎて、
本当にみるべきものが、みえていないのでは?
私たちが冷静に、今の時代を生きていくためには、
視点を変えることが一番大切です。
ずっと同じ方向から見ていると、
同じものしか見えなくなってしまいます。
こちらから見ていると腐ったリンゴでも、
反対から見てみたら新鮮なおいしいリンゴかもしれない。
腐った面からばかり見ていると、
不味そうで、見ているだけで腹が立ってくるかもしれない。
反対から見てみたら、半分に切ってみようと考えて、
おいしいリンゴに半分ありつけるかもしれないのに。
(たとえ話です。^^)
アメリカでは、”Critical thinking (批判的思考)”が、
教育の中でとても重要視されています。
「本当にそれは正しいのか?」
「常識だと言われているが、それは本当に常識なのか?」
など、常に自分で疑い、
自らの力で結論を導くことが大切だとされています。
日本の教育では、アメリカの教育に比べると、
「先生がこう言っているんだから、こうです」
「教科書に書いてあるのだから、信じなさい」
「質問は受け付けません」
的な要素が強く、
なかなか既存のものを疑う、ということをする機会がありません。
ただし、過ぎ去った教育の話は置いておいて、
これは自分で意識的にできること。
今、身の回りの「絶対こうだ」という思い込みを疑うゲームに、
挑戦してみませんか?
思いもしなかった新しい世界が、
見えてくるかもしれません。
今日も、皆さんが実りの多いときを過ごしていますように。
読んでくださり、感謝です。
POI
まっしろな世界~既存のものや考えを疑ってみる~
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