人生で自分が望む体験をする、一番シンプルな方法

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皆さんこんにちは。

Harmony-I 心理セラピストのあやのです。

とうとう(やっと?)梅雨入りし、毎日ジメジメした感じになってきましたね。

私はフィジーに4年ほど住んでいたのですが、フィジーは1年の半分くらいが雨季で、

しかもその雨季が日本の梅雨よりもさらにじめっとした気候だったように記憶しています。

(湿度80%越えは普通。クローゼットに入れていたカバンに普通にカビが生える💦)。

そんなジメジメした気候のフィジーでも、人々の心はいつも晴れやか。

太陽のような笑顔で日々を暮らしている方々がたくさんいました。

フィジーで暮らしていると、現地の方々と自分のマインドの違いに愕然とすることが日常的にありました。

環境が大きく違うのもあるかもしれませんが、何か私には推し量ることのできないもっと大きなものが存在するように感じていました。

ということで、久しぶりにフィジーのことを思い出したので、

今日は自分の望む人生を送るためのシンプルな方法についてお伝えしたいと思います。

フィジー人のメンタリティとは?

(私からみた、あくまでも主観で)フィジー人のメンタリティは、

「人類みなきょうだい、今ここをただ楽しむ、明日はあしたの風がふく、愛がすべて、私たちはすべてを共有している

という感覚です。

医療が発達しているとは言い難いので、大きな病気や事故をすると日本ほどは助かる確率も低く、

私が滞在しているときにも、「え、あの人が」というくらい若い方が突然亡くなったりと様々な出来事がありました。

ただ、現地の方々にとっては死ぬこと自体も悲劇ではなく、ただ生きる中での一つの通過点、くらいの認識のようでした。

個人的にはサイクロンも何回か経験し、国全体が壊滅的な被害を受けて電気・水道・物流も止まってしまったりと、普通の生活が全く送れなくなることもあったり、

デング熱が大流行して死者が出たこともありました。

そんな中でも、現地で暮らしを共にしていて私が一度もフィジーの人々から感じなかった感情があります。

それは、『絶望感』

どんな状況にあろうと、私は一度もフィジーの人たちから『絶望感』を感じたことがありません。

彼らの心の中には常に、「希望」の光を感じていました。

当時はわかりませんでしたが、今はその「希望」が何なのかがわかるような気がします。

(これは記事の後半でお伝えしますね。)

人生で望む体験をする、『意図』の力

日本に帰国して、心理学やNLPの学びを進めていく中で、数年前にNLPプロコーチの資格講座を受講しました。

そこで、講師のティム&クリス先生がおっしゃっていたことで特に印象的だったことがあります。

それは、毎回のトレーニングの冒頭で、「今日、どのような研修にするのか、あなた方でそれぞれの意図を設定してください」というものでした。

確かに、そう言われてみると、普通だったら漠然と「良い学びになるといいな」みたいな感覚なのですが、意図を設定すると体験がとても具体的になるのです。

例えば、

「積極的に学びを『楽しむ』日にするぞ」

とか、

「たくさん吸収しまくって、すぐに実践できるように学びまくるぞ」

とか、または

「冷静に、講座の内容をひとつずつ理解していく形で学ぶぞ」

とか、

色々あるわけですよね。

そして、その設定した意図によって、体験が全く変わってくるわけです。

先生方がおっしゃる意図の大切さはこちらのリンクをご覧ください。読んでみると、とても腑に落ちるところがたくさんあると思います。

(リンク)意図の設定に隠された神経科学と魔法を探究し、そして、最適な未来を自分のために創造する。

私たちは、ついつい「月100万円稼げるようになりたい」「弁護士になりたい」など、

目標そのものばかりに目を向けがちです。

もちろん、目的地があってこそそこに向かえるわけで、これも大切な要素です。

ですが、往々にして「どのようにそこに達成したいのか」「それをどのように体験したいのか」という視点を忘れてしまいがちです。

・月100万円稼げるようになっているけれど、人間関係も破綻して、そこに至る旅路が壮絶なものだった

・身も心もボロボロに削りながら歯を食いしばって頑張って、弁護士になれた

という経験がしたいのか、

・毎日を楽しみ、日々新たな発見や学びを得ながら、気がついたら月100万円稼げるようになっていた

・未来の自分にワクワクしながら意欲高く学び、経験を積み続け、念願の弁護士になれた

なのか、どちらがあなたにとってより望ましいでしょうか?

ほとんどの方は後者を選ぶのではないでしょうか。

ティム&クリス先生は講座の中で、

「例えば大阪から東京に行くとする。東京に行く=ゴール(目標)。でも、東京に行く方法は無数にある。新幹線で快適な旅がしたいのかもしれない。飛行機でひとっとびしたいのかもしれない。もしくは、車で様々な場所に寄り道をすることを楽しみながら行きたいのかもしれない。意図というのは、この道筋のこと。ここを「どのように」体験したいのか、これを設定することがとても大切」

というようなことをおっしゃっていました。

人生で本当にやりたいことは何?  

目標達成の大切さはコーチングやあらゆる自己啓発でも言われていることで、

おそらく耳タコの方もたくさんいらっしゃると思います。

(私も一時期うんざりしました。笑)

ですが、私たちはそこに「どのように」向かいたいのかに意識を向けることを忘れてしまいがちです。

人生は一瞬一瞬の連続です。

私たちは別に、月収100万円、という結果を体験したいわけではないのです。

もしくは、「弁護士になった!」というその瞬間だけを体験したいわけではないのです。

それらは人生の体験のほんの一部であって、本当は、それに関連する毎日の日々の一瞬一瞬を体験したいのです。

そう考えると、「目標を達成したその瞬間」ばかりが大切なのではなく、

それを「どのように」体験したい、そこに「どのように」到達したいのかが重要なのではないでしょうか。

先ほどのフィジーの話に戻します。

今思えば、フィジーの方々が抜群に長けていたのはこの「意図の設定」だったのだと思います。

天災や、環境的に恵まれないことも多い中、「周りをコントロールしよう」という思考の代わりに、

「何が起こってもそれを楽しむ」「愛をもってすべてを体験する」という強い意図を持っていたように思います。

これは、個人のレベルを遥かに超えて、コミュニティ文化レベルでの大きな「意図」のようでした。

だから、外国人から見たら「貧しい」とか「苦しい生活」なんてレッテルを貼りがちな彼らの生活は、

日々愉快で、楽しくて、豊かで、愛に溢れているものだったのだと思います。

(そして、彼らの多くにとっては私たち日本人が思うような物質的な豊かさは、そもそもゴールの一部ではないのです。)

先ほど、私はフィジーの方々から一度も『絶望感』を感じたことはなく、

心の中に常に『希望』を感じていたように思うと書きました。

ここでいう『希望』は、「今は悪い状況だけれど、いつかきっとよくなる」といった期待感的なものとは違い、

「どんなことがあっても、そこに光がある(むしろ、光にしてみせる)」というような、

いわば確信めいたものだったのです。

私はそこに、彼らの強い『意図』を感じるのです。

もしも私が今、彼らに「今日一日をどのように過ごす意図を持つ?」とインタビューして回ったら、

おそらく「Just enjoy!(ただ、楽しむだけ!)」「Smile and laugh!(笑ってすごす!)」と返ってくるだろうな~と想像しています。

人生をどう体験したいか。

これは、日々をどう体験したいかの積み重ねだと思います。

ティム&クリス先生は、毎日をスタートするときに意図を設定する大切さも教えてくださりました。

そして、その意図を設定すると、不思議なことにその通りの一日がデザインされていくのです。

皆さんも、ぜひ大きな目標だけでなく、一日いちにちを大切に過ごすための『意図』、

設定されてみるのはいかがでしょうか。

あなたは、今日をどんな一日にしますか?

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